2013年12月4日水曜日

映画”悪の法則”の短いレビュー

やっほー。くまごまちゃんだよ。

この映画はいわゆるストーリーをそのまま楽しむような映画ではないと思ったよ。

誰が悪人なのか、どうしたことに主人公は巻き込まれてしまったのか、みたいな具体的な理由や内容自体を読み解くことはさほど重要ではなくて、映画の独特な雰囲気から伝わってくる
”個々の小さな悪意が積み重なることで、人の意志とは関係のないシステム化された悪になること”
それと
”主人公たちがシステム化された悪に組み込まれた時にはすでに逃れることは不可能になっていて、翻弄されていく様”
っていうのが楽しめれば良いんじゃないかな。

物語で重要になるのは”選択”というキーワードで、主人公はどの時点でシステムに組み込まれて、どの時点で悪の世界に触れていたのかということを意識してみていると考えやすいかもしれないよ。

システム化された悪からは決して逃れられない、という物語の構成はある意味”死神”というシステムを活用したファイナル・デスティネーションシリーズにも近いと言えるだろう。

このシリーズはモラルや善悪など全く関係なく、事故を起こして生き残っても一度死ぬ運命になったから絶対死ぬ!という死神システムから必死に逃げ出そうともがく(そして失敗しちゃう)人々の姿を描いた作品で、共通部分はあると思うよ。
だけど悪の法則の更に恐ろしいところは、やはり人そのものがシステムになっていることで、これはファンタジー的でない非常にリアルで隣にありそうな悪というものを非常にうまく描いていると思うんだ。

ヒロインとも言えるキャメロン・ディアス演じるマルキナは欲求に従って率直に行動している人物で、ペットであるチーターが獲物を狩り殺す様を非常に美しいと言うよ。(大好きすぎてチーターの刺青もしてる)
世界を見据えて覚悟を決め、どっぷりと悪の世界で生きる方が、自分は知らないふりをして悪の世界から利益を得ようとする臆病な人間よりも自然で美しくさえある、ということを描いているんじゃないだろうか。
作品ではチーターは野性的で官能的で美しいものとして描かれていて、人の死体から金品を奪い取る人間と対比するように、死体を餌として捕食せずに歩き去っていくチーターの姿が描かれているよ。

正直よくわからないなってところもあったけど、哲学的な雰囲気だけでも結構楽しめた作品だったよ。


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